About us 私たちについて

店名に込めた想い

和三盆リングサブレの中からひとつ持ち上げているところ

夢のポケット

店名は、フランス語でPoche du Rêve(ポッシュ・ドゥ・レーヴ)。

「夢のポケット」という意味です。

製菓の世界では、実力や熱意があっても活躍する場所がないパティシエール(女性パティシエ)は多くいます。

「好きなお菓子作りを仕事として続けたい」
「活躍する場所は、自分で創る」

そんな想いを「夢のポケット」に込めています。

網の上に並ぶ焼菓子

Vision

伊東福子シェフパティシエールのチョコレートケーキを作っているところ。

心ある本物のお菓子で
芦屋を代表する洋菓子店になる

私達は、本物のお菓子を知り尽くした芦屋のお客様に、芸術的で心を満たす体験・価値をお届けしたいと思っています。その為には、一切の妥協なく、心ある本物のお菓子作りに真摯に取り組むことが大切だと思っています。

シュークリームに生クリームをのせているところ。

大切にしていること

制作風景

ひとつひとつ心をこめて

私達は毎日、何百、何千とお菓子を作ります。でも、お客様にとっては1/1。

だから「ひとつひとつ心をこめて」お菓子に向き合うこと。お菓子の先にいるお客様の笑顔をイメージし、常にお菓子作りに向き合っていく事が大切だと考えています。

接客風景
和三盆リングサブレの中からひとつ持ち上げているところ

いつまでも
お菓子作りを続けるために

スタッフの90%以上は女性です。
シェフを含め、その殆どが子育てをしながら働き、活躍しています。

結婚、出産、育児などを経て、実力・熱意があるにも関わらず、働く場所がなくなったパティシエールは多くいます。私達は時間に制約がある中、高い生産性で妥協ないお菓子作りをしています。そして「働く」と「母親・子育て」を両立させています。

網の上に並ぶ焼菓子

シェフについて

シェフパティシエール 伊東福子 Fukuko Ito

兵庫県生まれ

神戸海星女子学院フランス語フランス文学科卒業
同高校事務員として就職

フランスリッツエスコフィエに短期留学

24歳から東京代官山コルドンブルーにて製菓を学び、菓子ディプロム取得

26歳から個人店勤務を経て、東京パレスホテルに勤務

東京パレスホテル在籍時、日本最大級のコンクール「ジャパンケーキショー東京」の コンフィズリー&クッキー部門で1位にあたる
「連合会会長賞」受賞

神戸ポートピアホテル「アランシャペル」勤務を経て2009年1月に独立開業

現在、母親・子育てとシェフ業を両立中

~お菓子作りで大切にしている想い~

夢を追い続けて
──お菓子が繋ぐ人生の軌跡
~シェフ 伊東 福子の物語~

人生を変えた新聞記事
──安定から夢への挑戦
「このままで、
本当にいいのだろうか?」

私の心にその疑問が芽生えたのは、安定的な学校事務員の仕事をしていた頃でした。ある日、偶然目にした新聞記事。そこには、フランスでお菓子を学び、情熱を燃やしながら輝いている一人の女性パティシエがいました。彼女の姿に衝撃を受け、胸の奥で眠っていた情熱が一気に目を覚ましました。

子どもの頃からお菓子作りが好きだった私。仕事の合間にお菓子を作り、同僚に振る舞っては「美味しい!」と言われるたびに心が躍っていました。でも、それはあくまで「趣味」。

本当に私が求めているのは、これを「仕事」にすることではないか?そう考え始めると、心の中に大きな渇望が広がっていきました。「一度きりの人生、やりたいことをやろう。後悔するくらいなら、挑戦してみたい」──そう決意した瞬間、安定した仕事を捨て、夢への第一歩を踏み出すことを決めたのです。

ナッツ類とレシピとペン

フランスで夢を見る
──国境を超えた感動
「C'est bon!」

次に待っていたのは、神戸のお菓子教室での新たな発見。通うたびに心が躍り、学べば学ぶほど「本物を知りたい」という渇望が強まりました。そしてついに、パリのリッツエスコフィエへの短期留学を決意。心の奥底に眠っていた夢への道が、ここで大きく開かれました。

フランスで出会ったのは、言葉を超えて伝わる感動でした。プロのパティシエたちが繰り出す技の数々に圧倒され、学ぶたびに心が揺れ動きました。作ったお菓子をホームステイ先に持ち帰ると、ホストファミリーが「C'est bon!(美味しい)」と笑顔で食べてくれました。その瞬間、言葉や国境を超えて、自分の手で人を幸せにできると実感したのです。これこそが、私が追い求めていたものだと。

シェフがクリームを絞っているところ

遅すぎる挑戦のはじまり
──24歳での覚悟
「絶対にやり遂げる」

通常パティシエは高校卒業後から専門学校に通い、学び始めます。それでも「人一倍努力すれば必ず道は開ける」という強い信念がありました。そこで選んだのが、コルドンブルー東京校。家族からは安定した職業を捨てることに反対されましたが、私の決意は揺るぎませんでした。「絶対にやり遂げる」と自分に誓い、夢への道を歩み始めました。

東京での生活は、早朝はパン屋で働き、昼間は別の仕事をして生計を立てながら、夜はお菓子について自習し、週末はコルドンブルーでお菓子作りを学ぶという日々。それでも一つ一つ学ぶたびに胸が高鳴り、自分の夢に近づいているという実感がありました。

生地を伸ばしているところ

挫折と成長 「お菓子作りを
仕事にするということは、
こんなにも厳しいのか・・」

26歳で始めたパティシエとしての就職活動は、私が思い描いていた以上に厳しいものでした。私の年齢と経験不足は大きな壁となりました。そんな中、運良く個人経営の洋菓子店に採用されましたが、そこで待っていたのは現実の厳しさ。理想と現実のギャップに苦しみました。

「お菓子作りを仕事にするということは、こんなにも厳しいのか」──そんな思いが頭をよぎり、安定した仕事を捨てたことを後悔しそうになったこともありました。それでも「この夢を諦めるわけにはいかない」という想いが、私を支え続けました。

その後、知人の紹介を受け、パレスホテル東京で働くチャンスを得ました。ここでの経験は、私にとって宝物です。自分のレシピでクリスマスケーキを作る機会を得たときの感動は、今でも忘れられません。そして、2006年には日本最大級のコンクール「ジャパンケーキショー東京」で1位にあたる連合会会長賞を受賞するという快挙を成し遂げました。

独立開業への想い
──私の夢の先にあるもの
「活躍する場所がないなら、
自分で創る」

「いつまでも好きなお菓子作りを仕事にしていきたい」という強い思いが、ついに私を独立へと導きました。また、今でも実力や熱意があっても活躍する場所がない女性パティシエは多くいます。結婚、出産、子育てとの両立は現実的にかなり難しい為です。

「だったら、活躍できる場所を創ろう」

これがもう1つの原動力です。
今ではスタッフの90%以上が女性で「母親・子育て」と「仕事」を両立しています。

型抜き後のクッキーを並べるシェフ ショーケースからケーキを取り出す店員さん
店舗外観

Vision――目指すこと 心ある本物のお菓子で
芦屋を代表する洋菓子店になる

2009年の創業来、私達を育て、支えてくださった芦屋のお客様に心ある本物のお菓子を届けることで幸せな気持ちをお届けしたい。

「心ある本物のお菓子を届けたい。作りたい。」

それが、私が追い続けたい目標です。

私が選んだこの道は、決して平坦なものではありませんでしたが、誰かを幸せにできるお菓子を作ることができるなら、それが私の人生の喜びです。これからも、私はお菓子に心をこめて、夢を追い続けます。

並ぶ焼菓子 ガラスに貼られたポッシュ・ドゥ・レーヴのロゴ